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セミリタイア

セミリタイア生活2年。「自由な暮らし」にはコツがいる話

会社人間から開放されて2年。そろそろ仕事したくなった?
なにかに縛られている方が、楽ってこともあるよね
確かに自由人でいるには、人として自立してないと難しいね。一種の人生修業かも。

こんにちは~! 桜畑です。退職して2年。会社の後輩からアドバイスを求めるメールが来て、えっ? いまさら? めんど○○○~(笑)ってなりました。まあ、すぐに答えたんですけど、会社というものがすっかり遠い世界で、われながらびっくりです。

組織に所属しない生活

退職って離婚みたいなもんで、何10年も忠誠を尽くした割に、辞めてしまうと「もう他人」

人事のうわさや新しいプロジェクトの話が聞こえてきても、「ほぉ~」「い、いいね、がんばって~(白目)」って感じになっていきます(笑)。

人並みの愛社精神をもって30数年も働き、円満退社した割に冷たすぎ? 私サイコパスなの?

いやいや、もとの職場とそれくらいの距離感で生きていける私、進歩したなぁって思うんですよ。

会社や通勤がなくても、前より早く起きて自分の決めたルーティンをこなしている今のほうが、健康的で自立してるし。

帰属する組織は「家族」「趣味サークル」「国家」くらいしかないセミリタイアひきこもり生活。そんな自分に自信をもてるようになるには、ちょっと時間とコツが必要なんですけどね。

退職後の不安感

退職した当初、開放されたー!自由だぁ!という興奮の一方で、強制的に行くべき場所も、すべきこともない生活に、なんだかフワフワした不安感に襲われました。

20代、30代の頃なら、糸の切れたタコ状態に耐えられなくて、また働きに出たりしてしまったでしょう。

これが、エーリッヒ・フロムの言う『自由からの逃走』

生まれながら階級、身分、所属に縛られていた人が、そこから開放されると孤独と不安におちいり、それを回避すべく自ら「服従」を選んでしまう

という現象ですね。

幼稚園、小学校、中高大、そして会社…と組織に帰属し、

  • 「決まった時間に決まったところに行く」
  • 「人の言うことをききルールを守る」
  • 「組織に貢献する」
  • 「掟を守っていれば、認められたりほめられたりお金をもらったりする」

という生活をしているので、

  • 「お金を稼がない代わりに、自由に時間を使う」
  • 「ルールは自分で決める。だれにもほめられないゆるい生活」

が、楽しいけどしっくりこないのは当然なんですけどね。

「組織人」というパワーワード

「学生」「会社員」。肩書がないと不安だな
通勤や期限があるからせっせと働けるんだよね
そういう君たちも、立派な「組織人」だね

40代半ばで体調を崩して休職し、医師に「休んでいる罪悪感」について話した時のこと。

「組織人というのはつい、自分がいないと回らないとか、迷惑をかけると思いがちだけど、そんなことないんですよ。うまくいかなくなったとしても、そういう組織をつくった人の責任ですからね~♪」

と言われました。

「組織人」=スーツとネクタイで上司に敬礼…みたいなイメージだったので、ビックリ!

え?しょっちゅう上の人に逆らい(笑)、出社時間もいい加減な自分が「組織人?! なんだそれは…」

と、そのパワーワードについて考え始めました。

カウンセラーとの対話

その後、主治医のすすめで産業カウンセラーと定期的に面談するようになりました。前から心理学に関心があったし、組合の保険で無料で受けられたからです。

カウンセリングというとベッドに横たわって夢判断…みたいな怪しいイメージを持つ人もいますが、ふつうに前回の面接以降に起こったことや感じたことを話していきます。

長時間労働を避け、規則正しい生活ができるように助言があり、悩みや不安を整理してもらえるので、仕事を続けていく上で、とても助けになります。

ただ、カウンセリングの目標として、「今までの考え方のクセを発見して、ちがった価値観、生き方へシフトすること」だと言われるのが不思議でした。

組織に貢献すべき…は依存?!

結局会社を辞めるまで10年近く、月に1度くらいカウンセリングに通いました。

以前は、ワーカホリックになりがちな原因は、

  • のめり込む性格
  • 要領がわるい
  • 人とワイワイしながら何かを創り出すのが好き

だと思っていました。

でも、カウンセラーとの面談を続けるうちに、その底にある心理は、

  • 常に社会や組織に貢献すべきという強迫観念
  • 誰かといっしょにいないと不安
  • 人から与えられた課題で達成感を得る

あたりだったのかなーと思えてきました。

ザ・組織人そのものですね。

つまり「組織依存」

そして、もしかしてそれは、「まだ人としてちゃんと自立してないってことかも」…と考えるようになりました。

退職 新しい価値観で生きる

会社に通うのが日常になってると…
そこから抜け出すのって難しいよね
根本的に生き方を変えるってことだからね

そうこうするうちに、子どもが独立してローンも終了。働きつづける理由がなくなりました。

年末に夫の父を見送り、「好きなことができる余生って案外短いなぁ」…と実感。

そして年明けのある朝、とつぜん「そうだ、退職しよう!」と唐突に心が決まっていました。

会社に交渉する前に、10年近く伴走してくれたカウンセラーさんに面談に行きました。

相談というより、ほとんど決意表明だったので、ビックリされましたが…。

「そうでしたか。長いことご苦労様でした!」と大きな拍手 👏👏👏👏👏👏👏👏 をいただきました。

「カウンセリングの目的」である

「今までの考え方のクセを発見して、新しい価値観、生き方へシフトすること」

を達成した瞬間ということですね。

面談の中でカウンセラーさんから、いろいろな事例をうかがったりして、本当は「新しい価値観、生き方」とは、「会社人間をやめて、1人の人間として自立する」ということだろう…とウスウスわかっていました。

でも現状を変える勇気がないために、なるべく見ないように、考えないようにしていた。

そういう心の奥の硬いものが溶けるのに、10年もかかったってわけです。

*その後、会社を辞めるまでの話はこちら

まだ働けるのに…という圧

あと10年近く、だましだまし会社に通っていたら、「定年退職した人」というカテゴリーに入って、祝福され、めでたく年金生活に入っているはずでした。

会社の人や家族に「もうちょっと働いてくれてたら」とうらめしがられることもなかったでしょう。

退職後、ハローワークでどうにかしてもう一度働かせよう、社会に役立たせて税金を払わせようという圧力(笑)を受けることもなかった?はず。

それでも既婚女性は「専業主婦」というカテゴリーを隠れ蓑にすることで、怪しまれることなく生きていけるのでラッキー!とか思っていたら、同世代の専業主婦だった友人は、子育て終了を機に逆に働きに出てるんですよねぇ…。

*参考 クラス会に行ったら、大半が現役バリバリだった話は こちら

「自由からの逃走」からの逃亡

まだ働ける大人が、自由にフラフラしてるなんて、もったいない!と現代社会は考えます。

何より自分自身がそう思っていたからこそ、歯を食いしばって働いてたわけだし。

2年経って、誰からも何も強制されない生活に慣れてきたものの、「自由だ!」と嬉しいのに、ときおり

「う~ん…でも私、こんなことをしていていいんだろうか? もっと社会のためにすべきことがあるんじゃないのか?」

という声がどこからともなく聞こえてきて、せっかく手に入れた「自由人の心」をつぶしにかかります。

ここでうっかり働きに出てしまったりすると、孤独や不安に陥って自ら「服従」に陥る「自由からの逃走」状態にはまります。

なんとかして、「自由からの逃走」から逃亡したまま、機嫌よく暮らしたい。

能天気になるコツ

最低限の家事しかしないで本を読みまくったり、楽器の練習をしまくったり、通りすがりの花や緑の写真をTwitterにあげたり、突然「NFTアート」を買ってみたり、好き勝手なことをブログに書いたり、ジムのお風呂でご近所の先輩とまったりしちゃってる自分。

税金も払わず、社会のみなさまの役に立たない困った国民(笑)。

でも、もし今もカウンセリングに通っていたら、

「会社人間から脱して、本当に好きなことを追求しているなんて素晴らしいことですよ」

と言われていたでしょう。

そういうふうに、たまに自分がカウンセラーの椅子にすわって自分を観察しているのを想像します。たぶんこんな感じに見えてるはず👇

「この人、今のほうが主体的に生きてて楽しそうだな。人生で不足していた家族との時間、趣味の時間を取り戻せたし、新しい世界が広がっていていい傾向だ👍」

こうやって「脳内カウンセラー」を呼び出せるようになった(=メタ認知)ので、能天気な自分を能天気に眺められる。

年々、まったりと生きることが得意になっていくわけなのです。

まとめ いつかは無力な人間になるという覚悟

会社に通っていれば、とりあえず社会の役に立ってる人って認定されるけど
毎日好きに暮らしてると、「役立たず」「無能」になった気がしないかな
そういう自分や他人も受け入れられたら、新しい世界が開ける気がするんだよね

長く仕事を通して社会貢献してた人にとって、わかりやすく社会の役に立ってない生活を肯定するのはなかなか難しいもんです。

でもそういう自分でいいの?と不安になる気持ちは、公園や道端でゴロゴロしている人を「怠け者」「劣った人間」「排除すべきもの」とか思っちゃうことと通じているような気がするんですよね。

高齢の親たちを見ていると、人の役に立てることはどんどん減って、人の助けを借りることがどんどん増えていきます。

みんなが自分を殺してバリバリ働き、経済をまわし、人の役に立つべき…とか無意識に思わせる社会のほうを、疑うべきで、誰しもいつかは「無力な自分」になる。その覚悟は常にもっていないといかん!!と思います。

そう考えると「半径500メートルひきこもりセミリタイア」はなかなかの精神修養。縛りのない自由な毎日を肯定して楽しめる自分、すごく人間的に進歩したなぁって思います。

「役に立たないやつは生きている価値がない」という気持ちを、自分や他人に向けることがなくなったら、自分や他人をしんどくさせる機会をひとつこの世に発生させないですんだことになります。

社会貢献って何かをすることだけじゃありません。何かをしないことでできる社会貢献もある。---「役に立たなければいけないってこともないな」と思えたら、それは心身が回復してきたサインです。

大原扁理 『フツーに方丈記より

カウンセラーさんに言われたカウンセリングの目的

「今までの考え方のクセを発見して、新しい価値観、生き方へシフトすること」

は、結構奥が深くて、一皮むけるとさらにたくさんの皮が重なっていて、芯にたどり着くまで一体何層あるのかなぁ?…って思うこの頃。

まだまだ崩されきってない古い常識や価値観を、少しずつ脱ぎ捨てるために、今日も真っ白なカレンダーみたいな一日を、機嫌よく暮らしていきたいと思います。

それではまた~!

⇑ 欲のない澄み切った心の世界。日本の名作古典エッセイ『方丈記』を、『年収90万円で東京ハッピーライフ』の著者がゆるく現代語訳。肩の力が抜けます。

-セミリタイア