こんにちは~。桜畑です。
会社を卒業し半径500mにひきこもってから2年半。
「護送列車で往復2時間。8~15時間の拘束」という奴隷制度から足を洗い、お家とその周辺という「城」と「城下町」でのゴキゲン生活です。
しかし、そろそろ家族以外の人ともつき合わないとヤバいんじゃないか?という思いが頭をもたげてきました。
*参考 セミリタイアと孤独 ひきこもりをやめるか否か、それが問題だ
目次
バイト⇛ムリ マダム生活⇛もっとムリ
他人と定期的に会うなら、外へ出て働くのがてっとり早いかもしれません。
しかし、「人が決めた日時に定期的に拘束され、キャンセルの自由がないバイトという仕事」をする気が起きない。
レジ打ちや接客の経験すらないおばちゃんが来ても困るだろうし(笑)。
と言って、長年フルタイムワーママとして駆け抜けてきたので、平日に「友人とランチ」「観劇」的なマダム生活は、時間もお金ももったいない気がして踏み出せない。
「クラス会」「パーティ」という踏み絵
そんなところに母校での「ミニクラス会」と趣味の仲間から「ミニホームパーティ」のお誘いが…!!
コロナ禍が下火になって、「小規模ならOK!そろそろ集まろうよ」って感じですね。
今までなら速攻断るところですが、長いであろう老後生活を見据えると、少しは他人と過ごす時間もつくったほうがいいのでは?と自分を鼓舞し、参加することにしました。
まずは「クラス会」に出かける
クラス会は母校の行事に合わせてキャンパス内で行われます。知らない街中の店より、懐かしい場所で会うのは感慨深い。
ZOOMで遠方に住むクラスメイトとも話せました。テクノロジーの進化、ありがたいですね!
クラス会のメリット
ふつうに楽しい・若返る
久々の母校。数年ぶりの同級生。意外と緊張します。
なので早めに行って幹事のお手伝い。10数人と小規模ですが、来る人を迎える側にまわると気が楽です。
言うて学生時代に苦楽をともにした友人(女子校)たち。「うわぁ~久しぶり、変わらないねぇ(?)」から始まって、近況を報告しあい、思い出を語り合い、高校生みたいにキャッキャとはしゃぎます。
こんな高い声出したのいつ以来? 若返りますね。
着るものを更新するチャンス
母校での開催なので、ドレスコードに悩み、先輩のクラス会の写真を参考にしました。
ワンピースやスカートに、きちんと感のあるジャケットというのが定番らしい。そういえば退職時、ほぼ捨てちゃったなぁ…あるのは音楽発表で着る真っ黒な服ばかり(笑)。
思い切って「無難で着回しがきく」ジャケットとスカートを購入。クローゼットに「無難きちんと服」があると人生が安心だなぁ…と心から思いました(笑)。
生き方に刺激を受ける
同級生に会ってつくづく感じたのは、50代後半でも、まだみんな現役感強いっ!てことです。
いわゆるバブル世代だけど、結婚や出産でいったん仕事を辞めた人がほとんど。その後も優雅な奥様生活(笑)してるんだろうな~と思っていたら……、
とんでもないっ!!
公務員や非常勤教師、専門職、フルタイムアルバイターとして働く人。
自分で翻訳事務所や海外支援NPOをやってる人。
中には里親として子どもを引き取り、小学生ママをやってますという人も!!
あれ? 「引退して引きこもってます」とか言ってる中年ニートは私だけ?
まあ、社会でわかりやすく活躍してる人の方が、参加しやすかったのかもですが。
まだまだ社会のため家族のために働くぞ~っていう同級生のエネルギッシュな姿に、刺激を受けました。
悩みを話せる
一方で親の介護、実家の片づけ、忍び寄る健康問題。中高年の悩みは共通です。同じような経験をしている人に、ちょっと話を聴いてもらったり、アドバイスをうけるのも有益ですね。
原点を思い出せる
急にクラス会に出かける気になったのは、ふと、学生時代の楽しかった日々を思い出したから。
放課後の教室でのおしゃべり。休み時間のボール遊び、キャンパスの畑や花壇の世話。イベント前日、作業終わらず、真っ暗な中、星を見ながらの帰宅路…etc
仕事中心の生活の中で忘れがちな、本来好きだったこと、夢中だったこと=自分の原点。旧友と会って、そういうものを思い出せるのも、クラス会のメリットですね。
クラス会のデメリット
やっぱり疲れる
10数人のミニクラス会とはいえ、人が集まる場は神経が疲れる…。
二次会はなかったけど、帰宅したらぐったり動けず…。仕事に出てた夫に夕食をつくらせるという暴挙…となりました。
つながり過ぎる危険⚠️
皆がスマホを持っている時代。久々に集まれば写真を撮ります。「じゃ、LINEでシェアね」…ってことで、グループLINEができます。「フェイスブックでも報告するね」とグループに参加となります。
長年避けていた同窓生グループSNSに、とうとう足を踏み入れてしまった…。
ここに限られた時間資源を費やすのは不本意。あまり動きのない、ゆるっとしたグループでありますように…。
お金がかかる
コロナ禍ステイホームの2年間、交際費は激減していました。
今回は母校の教室が会場で会費無料とはいえ服代+交通費+持参の昼食代等、リアルに人と会うということは、お金も動きます。
これが都心のホテルやレストランで…とかが増えたら、なかなか大変かも。
人と比べやすくなる
「同窓会」といえば、「見た目やキャリアや夫や子どもの出来などでマウント合戦」っていうのがドラマや小説の定番。
今回のメンバーはわが道を行くタイプで、そんな気配はなかったけど、一瞬、「みんな働いてるのか😲 えらいなぁ…隠居しちゃっててごめんなさい」的な気分(笑)になったのは確か。
とはいえ意外なほど劣等感はわいてこない。40代までは誰よりも長時間労働だったので、50代で仕事から足を洗ってひきこもるっていう「ステキな選択肢」(!!)を見せることも、誰かの役に立つんじゃないかなぁ?(逆マウント🤣)。
ホームパーティに参加してみる
遠い記憶
さて、クラス会に続いて、趣味仲間とのささやかなホームパーティ(っていうか飲み会?)に参加。
子育て期は、新居のお披露目や誕生会、園や学校役員、スポーツチームの親同士の飲み会などが頻繁にありました。でも子どもの学年が上がるにつれ、親子とも多忙で疎遠になっていきます。
一方で、音楽教室やサークルの仲間とは、発表会後の打ち上げや忘年会、新年会。コロナ前はそこそこ集まってました。
コロナ禍でそんな会合もバッサリ切られ、「誰かとお茶」さえはばかられるように。
ひきこもりたくて会社を辞めた自分としては、好都合だったんですよね👍
くつろげない性格
食べたり飲んだりしながらの雑談が、楽しめないわけではない。でも店や大勢の人のザワザワ感や、料理の取り分け、会話の内容、トイレのタイミング…(笑)どうでもいいことに気を使って、心からくつろげないんですよね。
昨今は「HSP(過敏な人)」っていう言葉が広まって、一定数「飲み会・パーティ=辛い」っていう人が存在することが認知されてきました。
自分もややこっちのタイプなんだろうな…と思う。しかし、つい場を盛り上げようと喋ってしまったりするので、誰も「過敏な人」とは思ってない(笑)。
昼からダラダラ飲むという体験
今回は徒歩圏の先輩のお宅で、数名だけの持ちよりパーティということで、参加してみることに。
店と違って人の家はザワザワ感がないし、猫がウロウロしてたりして、和みます。
音楽を介してのつきあいですが、こういう場だと、ふだんの暮らしぶりや、ほかに興味のあることをきけたりします。
特に目的のない会話。なんの役に立つの?とかいう思考は脇におきます。
だって今は、時間リッチのセミリタイアの身。しかも徒歩で家に帰れる場所。晩ごはんはつくらない宣言もしてきた(!)
平日の昼下がりから人のうちでダラダラ飲む…初めての体験だけど、だんだん背徳感さえなくなってきた……。
あれ、家族かな?
そうして2~3時間、飲んだり食べたりしゃべったりしてるうちに、不思議な空気感になってきます。
人の家が、ずっと前からいた場所みたいになり、ウロウロしてた猫も距離を縮めてくる。そこにいる人と猫がだんだん親戚みたいな感じに。
そして、なんかの拍子にどっと笑ったりしたときの「ほわぁーっとした感覚」だけが、体の奥に残っていく…。
人間を含む動物(生物も?)は、言葉ではない何かで常に交信していると言いますが、そういう原始的なものかも知れないですね。
結果、「ムダな時間を楽しみ、あったかい感覚が体の芯に残った」という体験でした。
ひきこもりと交流のバランス
疲れたら活動停止
というわけで、2年半前に退職してひきこもって以来、久しぶりに家族以外の人たちと交流する場所に出ていってみました。
コロナ禍で、「大勢のいる場で過ごす」という免疫が切れてたのを感じました。
他県の実家支援も重なり、すべて終えた翌日は、倦怠感、眠気、頭痛、咳…などの謎症状でぐったり。
1日休んだら治ったので、風邪じゃなくて単なる疲労ってことですね。
独りの時間を取り戻す
寝込んだ翌日は、雲ひとつない快晴。思い立って、都立公園にサイクリングにでかけました。ここはどこ?と思うような里山的風景と紅葉を眺め、写真を撮りながらゆっくりマイペースで歩きます。
駅前に戻ってカフェで読書したり、ノートを書く。気づいたら2時間以上経ってた…。
アップダウンのある道を自転車で爆走したので、運動もでき、頭もすっきりしました。
休む時間をちゃんとはさめれば、もう少し外に出て、人に会う時間を増やしても大丈夫かも…。
おすすめ「カタツムリ・ルーティン」
【人と会う⇛ひきこもって休む⇛独りで活動・思考⇛人と会う】
セミタイア生活は、こういうルーティンをバランスよくつくれるのが最高ですね。
ふだんは殻の中でまったり過ごし、時々殻の外に出て、アンテナ(角)を立て、情報やエネルギーを交換して楽しむ。疲れてきたら、殻にひきこもって体を休め、頭を整理する=カタツムリ的生活です。
有益とか無益とかじゃない
というわけで、セミリタイアのひきこもりをちょっと解除してみた結果
- 人と過ごす時間を、有益度で測るのは無意味
- 時間と空間を共有することで、受け取る「気」のようなものがある
- エネルギー量が下がったら、ひきこもって休めばOK
ということがわかりました。
働くなら週3日?
かえりみると、フルタイムの会社生活というのは、人から刺激を受ける密度と時間に対して、休んだり考えたりする時間が少なすぎるので疲弊するんだなぁと思います。
特に家に帰っても家事と子どもの世話がある時期は、ほんとうに過酷ですね。
ワーキングマザーに限らず、人は、たとえば週3日くらい会社などで働いたら、週2日は主に家族と過ごし、2日くらいは主にひとりで自由に過ごす…くらいの配分がいんじゃないかなぁ。
基本は「3ない生活」で
実験的にひきこもりを解除した結果、社会性や精神的健康を保つため、たまの交流は必要だけど…基本は
- 仕事しない
- 移動しない
- 交流しない
の3ない生活を継続していこうと思いました。
なぜなら、人生時間をマックス100年としても、半分くらいは「学校や会社や子育てて身体も心も拘束されていた年月」だったからです。
「自由で孤独な期間・環境」がもう少し長くあったほうが、死ぬ前に後悔がないかな(笑)って気がするんですよね。
あ、でも、「常に人とワイワイしてないと死んじゃう」タイプの陽キャな人は別ですよ!
自分のタイプをよく考え、100年単位で人生バランスを整えていきましょ~!!
それでは、また~!!
「柔軟性のある内向型人間」は、人が好きなので「ひとりになりたい」欲求を感じにくく、エネルギーを消耗しすぎる傾向があります。ですから疲労困憊してしまう前に、少しでも「ひとりの時間」を多くもつことを心がける必要があります。
心が本当に欲しているものとそうでないものを区別できなくては、本当の意味でいい人間関係を築くことはできません。
『内向型人間のための人生戦略大全』(シルビア・レーケン著)より