こんにちは~。桜畑です。とつぜんですが、あなたは「嫌いな人」っていますか?
あの芸人がイヤか、どうもこのアナウンサーは鼻につく…とかいう話じゃなくて、日常接するリアルな人の話です。
桜畑は「つい近づいてしまったけれど、最終的に避けるべき人リストに入ってしまった人」が何人かいます。
こういう人を早く見分けるために「嫌い」っていう感情を、殺さない方がいいよって思ったので、書いていきますね。
こんな悩みに答えます
- 近づいてはいけない人ってどんな人?
- 早く見分けるためにはどうしたら?
- 「嫌い」っていう感情がよくわからない
目次
みんな仲良くの罠
「みんな仲良く」。組織や集団生活にとって都合のいい標語。
人間関係のトラブルによって、集団生活に支障を来すと、組織運営の効率が悪くなる。
だから組織を運営する側は「仲良く」のすばらしさを、あの手この手で洗脳してきます。
好き嫌いがない人は都合のいい存在
「みんな仲良く」に洗脳されずに、「オレはあいつは嫌い」「あの人とは口もきかない」なんていう人もいる一方で、「いやぁ…特に嫌いな人っていないなぁ…」っていう人もいます。
好き嫌いがない人は、孤立してる人にもふつうに接したり、チームをまとめるときにえこひいきをしないので、いいリーダーになるかもしれません。
組織にとっては貴重な存在です。
嫌いな人がいない理由
でも、なんで、嫌いな人がいないのか?
- 他人にそこまで関心がない
- 自分の世界がある/自分に満足しているので、人に嫉妬しない
- 好き嫌いの感情より、人間観察に走る
- 人の長所・短所をバランスよくみる
- 「好き嫌い」の感情がわからない
突き詰めると、鈍感でドライ、客観性が高く、感情面の起伏がない人ってことですよね。
近づいて、痛い目にあった人々とは
桜畑も人の好き嫌いってよくわからなかったタイプ。
そして人間観察は好きなので、つい危ない人に近づいて、結構なストレスを抱えたことがありました。
たとえばこんなタイプ⇩
- 相手の立場がまったく想像できず、一方的に自分の正しさだけを主張する人
- 親切にするほど新たな要求を突きつけて、相手を試し続ける人
- 根底に嫉妬があって、不当に攻撃してくる人
近づいてはいけない人は、一見「いい人」「能力の高い人」
こういう人たちは、最初は控えめでいい人そうだったり、思いやりがありそうだったり、博識でマニアックなため勉強になったりします。
なので、つい近づいていってしまい、あとで結構なダメージを受けました。
近づいてはいけない人に近づくとどうなる?
受けたダメージといえばたとえば⇩
- 自分の主張を延々と書いた長文メールを送りつけられるようになり、対応に消耗
- 数時間も悩みをきかされ、時間を奪われたり、私的な予定を邪魔される
- わけのわからない論理・タイミングで、とつぜん感情をぶつけられる
- 〇〇だからあなたはダメだ…と人格否定をしてくる(本人に自覚はない)
こちらが信頼できる(または何をしてもいい人)と認定されると、とつぜん本性をあらわにするので、不意打ちを食らい、対応が遅れてしまいます。
なんでそんな目に遭うのか?
一方、あとで豹変する人を割と初期に察知して「あの人嫌いっ!」って宣言して、さっさと距離をとる人っているんですよね。
結果的に「その好き嫌いセンサー、正しかったね😲」っていう事例をいくつも見せられて、さすがに鈍感な私も気づきました。
「この人にもいいところあるし、おもしろいし」…なんて近づいていって痛い目にあう自分の方がアホで、もっと「好き嫌いセンサー」を使ったほうがいいんじゃないか…と。
『君は誰と生きるか』を読んで
会社にいると、「好き嫌いの感情に蓋をし、権力のある人を持ち上げて理不尽に耐え、ウマが合わないタイプともうまくやってチームを回す…のが大人ってもんじゃないの?」って思わされがち。
しかし昨年末に読んだこの本『君は誰と生きるか』には、ビジネス系の自己啓発書なのに、「人を嫌う気持ちを肯定して、成功を目指す」という珍しい本でした。
著者は敬愛する師匠から教わった人間関係に関することばを世に出したくて、12年も構想を温めていたとか。
たとえば、やみくもに人脈をつくろうとする若者に「人を嫌うススメ」をする師匠のことば。
「『誰かを嫌うことは悪いこと』そんな思いを持っていたとしたら、はっきり言う。この罪悪感はいらない。そんな感情を無意識に抱き、自分の中の嫌いを認めてあげることができない自分はもうやめよう、そう言ってほしいんだ」
「好き嫌いはあってもいいってことですか」
「いい、悪いじゃなくて、当たり前のことなんだよ」
『君は誰と生きるか』より
一方で、幸福の秘訣として以下のようにさとします。
「人には2種類ある。与える人ともらう人。君には与える側に回ってほしいと願ってる。それが、君が幸せになる一番の近道だから」
ーー
「具体的には何ができますか?」
「簡単だよ。ー一つ目は、笑顔でいること、二つ目は、相手の話に興味を持って耳を傾けて聞くこと。そして三つ目は、思いやりを持って相手に温かい声をかけること」
同上より
一見矛盾しているようですが、以下のような論理で説得してくれるので、「嫌いな人を嫌う」価値をすんなり理解できます。
- まず自分を潰さず大事にする。
- 自分にとって本当に大事な人を優先する
- そのために「嫌い」な人を遠ざける
今まで「私あのひと嫌いっ!」ってすぐ烙印を押す人は、「子供っぽい」「未熟な人」って思ってたけど、いやいや、むしろ「あっぱれ」なんじゃないか?
「野生の勘」で好き嫌いをさっと決めちゃった方が、人生の効率もよくて、本当の幸せに近づきやすいのかも!…と遅まきながら気づかされました。
論理的に考えすぎて、自分の中の「好き嫌い」がよくわからなくなってる人。なぜか危険な人に近づいてダメージを喰らいがちな人。そんな方には、『君は誰と生きるか』ぜひ一読をおすすめします!
まとめ 好き嫌いセンサーを大事にしよう
というわけで近づいてはいけない人の特徴とは
- 一見控えめでいい人だったり、博識で面白かったりする
- 心を許すと突然豹変して、主張を押し付けてくる
- 相手の立場からものを見られず、時間を奪い、消耗させる
こうした人は、いわゆる発達障害気味だったり成育歴に問題があったのかもしれません。今までも何度も人間関係で挫折しているので、一見いい人を装うのに長けていたりします。
自己責任として切って捨てるのはフェアじゃないし、社会に居場所を見つけられるように…と願います。
ただ、自分の能力の範囲を超えて依存されたり、心を乱されたら、距離をとった方がよい。つまり自分にはできること、できないことがあるのを受け入れようということです。
そして、そういった人を早く見分けるために、何より優れたセンサーが「好き嫌い」という感情です。
人の好き嫌いがあんまりないなぁ…という人は、「みんな仲良く」の洗脳によって「センサーが鈍ってるかも」と疑ってみましょう。
誰にも言わなくていので、「あれ?私あの人苦手かも」くらいの感情には気づいてあげられるように、自分の心を素のままに観察して受け入れる習慣をつけていきましょうねっ!
カウンセラーや精神科医でもないあなたが、だれかを救うのは難しいし、限界があるということも肝に命じて。
それではまた~。